優しくできなくて後悔した話(優しさを失っていた)
先日,子供と鉄道博物館を訪ねました。想像以上に大きくて,1日楽しめました。ただ,シミュレーション系の抽選は1個も当たらず体験できませんでした。体験できない覚悟で行った方が良いと思います。(平日とかならさすがにできる気はしますが..)
その際,一つ後悔したことがあります。鉄道博物館とは直接は何も関係しません。
後悔したこと
帰り際,鉄道の展示の前で写真撮影をされていた家族がいました。家族以外の撮影者がいなかったので,お父さんとお母さんが交互に撮影されていたのですが,声をかけて,家族全員の写真を撮ってあげなかったことを後悔しています。端的に言えば,優しくなれなかったことを後悔しています。
優しくできなかったことを後悔する理由
考えてみましたが,わかりません。優しくなれなかったことを後悔するのが人間みたいです。下記のジョージソーンダーズさんのスピーチを思い出しました。個人的には,スティーブジョブスさんやイーロンマスクさん等の成功者?のスピーチより印象に残っているので,是非ご覧になってください。
一応,優しくなれなかったことを後悔する理由を考えるために,逆に優しい行動をしたときにどうなるかを思い返してみました。
・ 感謝される or /and 自分に何か親切してくれる可能性が高い。
・ 自分がいい気分になれる。運気が上がった気になる。
優しくすることは,相手にも自分にとってもほぼ100%メリットしかない行動であるから,優しくしないことを後悔するのではないかと思いました。たとえば,絶対に当たるとわかっている宝くじを買わなかったor買えなかったら後悔するのと同じなのかもしれません。うーん,,でもそんなことでは人間そこまで後悔しない気もしてきました。単純に人間はそんなに捨てたものじゃなくて,優しくしたいことが本能なのかもしれません。ということで,実際のところはわかりません。。
優しくできない理由
自分と他人の世界が切り離されすぎていたからではないかと思いました。私が写真撮影の声をかけられなかった理由を思い返してみましたが,以下のようなことを考えていたと思います。
・断れられるかも
・早くしてほしいと思っていた(自分も同じところで写真を撮りたい)
・自分の時間を無駄に使いたくない
・迷惑をかけるだけかも
なんていうか自分のことしか思っていなくて,他人のことなんか頭に入らないというんですかね。。最近,自分の関心や時間にしか興味がないことを反省するきっかけになりました。自分は優れていて,他人に時間を使っている暇等ないみたいぐらいな気持ちになってた気がする。普段,そんな大したことに時間を使っているわけでもないのに,自分が自分に使う時間が一番大切だと謎に思い込んでいました。時間は確かに大切だし,有限だ。でも,自分みたいな凡人は,もっと気軽に時間を考えよう。他人に使っていい気持ちになれるなら,もっと他人に時間を使っても良いではないか。
優しくなることを追求しよう!
本当の喜びは他人との関わり合いから生まれる
サンダーズさんのスピーチにあるように,優しくなることを追求するのをずっと忘れないようにしたいです。本当の人生の喜びはやはり,他人との関わり合いから生まれるのだと思います。スマホの中の世界からは得られないモノだと思います。そして,何よりも,「情けは人の為ならず」です!
このブログを書いていて,最近,日本人は冷たい/人助けしないという記事等を見かけることがあったので,改めて気になりました。でも,本当は人種なんかに関係なく,本来,人間は優しくなりたいと思っているのだと思います(そう信じたいです)。ただ,色んな社会的な要因(経済力,ネット社会,宗教,政治体制等)もあって,発揮できない場合があるだけだと考えます。その要因について,また改めて考えて記事にしたいと思います。