神様が存在するならば,なぜ理不尽な死はなくらならないのか / クルアーン やさしい和訳(監訳著 水谷 周,訳補完 杉本恭一郎 )
ムスリムの友人にコーラン(クルアーン)を借りて,完読しました。原音ではクルアーンという呼び方が正しいですが,以下は日本での一般的な呼び方であるコーランと書かせてもらいます。
~ 読む動機 ~
世界の多くの人にとって,宗教は大きな行動原理の一つだと思います。また,戦争だったり,格差の拡大だったり,最近の世の中はきな臭いですよね。宗教自体がそれらの原因になったりする一方で,宗教のおかげで救われている人もいると思うんですよね。この世界を理解するうえで,三大宗教は知っておくべきだと思っています。その中でも,仕事でムスリムの多い国と関わることになりそうなので,コーランを読んでみました。本書は,ムスリムの友人から譲り受けました。
~ コーランの基礎知識 ~
コーランの基礎知識は,調べればいくらでも出てくるので,多くは書きません。ただ,友人に依ると重要なことは,コーランに書かれていることは神様アッラーの言葉そのものであるということです。預言者ムハンマドがアッラーの言葉をそのまま書いたものです。コーランそのもの自体が神聖ですし,読む際は,清潔な状態で読むように言われました(ムスリムの方は読む前にうスリムの友人にコーラン(クルアーン)を借りて,完読しました。原音ではクルアーンという呼び方が正しいですが,以下は日本での一般的な呼び方であるコーランと書かせてもらいます。
~ 読む動機 ~
世界の多くの人にとって,宗教は大きな行動原理の一つだと思います。また,戦争だったり,格差の拡大だったり,最近の世の中はきな臭いですよね。宗教自体がそれらの原因になったりする一方で,宗教のおかげで救われている人もいると思うんですよね。この世界を理解するうえで,三大宗教は知っておくべきだと思っています。その中でも,仕事でムスリムの多い国と関わることになりそうなので,コーランを読んでみました。本書は,ムスリムの友人から譲り受けました。
~ コーランの基礎知識 ~
コーランの基礎知識は,調べればいくらでも出てくるので,多くは書きません。ただ,友人に依ると重要なことは,コーランに書かれていることは神様アッラーの言葉そのものであるということです。預言者ムハンマドがアッラーの言葉をそのまま書いたものです。コーランそのもの自体が神聖ですし,読む際は,清潔な状態で読むように言われました(ムスリムの方は読む前にウドゥーと呼ばれる体を清める行為を実施するようです)。
~ 最も知りたかったこと ~
一番知りたかったのは,”死”に関することです。常々疑問に思っていたことがあります。それは,"神様が本当に存在するなら,なぜどうしようもない理不尽な理由で死んでしまう人がいるのか?"です。世の中には,どうしようもない不運な事故,災害,戦争で亡くなってしまう方がいます(もちろん自分もそうならないとは限らない)。理不尽すぎますよね。それが運命だなんかという言葉ではとても片づけられません。個人的な意見ですが,本当に神様がいるならそんなことは起きないはずです。でも,現実にはそういう方はなくらない。だから,神様なんていないと思ってしまいます。その疑問に対して,神様はどう答えてくれるのか,そこが一番気になっていたことです。
~ 現世の生活は,遊びにすぎない ~
コーランの興味深いところは,死や行動様式等に至るまでとても具体的に書かれていることです。聖典にここまで具体的に書かれているのは他にないのではと思います。やるべきことと考え方が明確で,非常にわかりやすい宗教であると思いました。
上記の私の疑問に対する答えも,以下の実際の文章を引用すれば,私が解説するまでもなく,明確になると思います(番号は本書内の章と節番号です)。
6.2 アッラーは泥からあなた方を創った方で,更にアッラーは人生の帰還と復活の日までの期間を決めました。
6.32 現世の生活は,遊びや戯れにすぎません。しかしアッラーを意識する人には,来世の住まいが最善です。
7.169 アッラーを意識する人たちにとっては,来世の住まいこそ最善です。
56.60 アッラーはあなた方に死を定めた。アッラーの先を越す(そして死を止める)ことはできず,(以下略)
57.20 現世の生活は,遊びや戯れであり,また虚飾と互いの自己顕示であり,財産と子女の多さの張り合いだということを知りなさい。
以下は私の解釈です。
死は神様に定めらているのです。そもそも現世での生活は遊びに過ぎず,来世こそが重要なので,死に理不尽もなにもなくて,死ぬこと自体恐れることではないのです。いつどのような死に方をしようが,それまでに神様のことを信じて,定められた行為を行っていれば,来世は天国(永遠の楽園)に行くことができます。
コーランに依れば,理不尽な死はなぜ存在するのか?という疑問自体に意味がないことを納得することができました。
それに,この死生観であれば,無宗教の日本人と行動原理が違って当たり前だよなと思いました。やっぱり私もそうですが,死んだ後よりも今の目の前の生活の方が大切だと思ってしまうし,目の前の楽しいことやお金に囚われてしまいます。
~ 現世での生活が苦しい時も救われる?~
上記の死生観を信じることができれば,現世での格差とかを気にする必要がないと思いました。貧乏だろうと金持ちであろうと,現世での生活は言ってしまえばどうでもよくて,天国にいけるか地獄にいくかが重要な訳です。そう考えれば,現世で生まれながら苦しい立場にいても,救われそうな気がします。そういう意味で,現在の格差社会において,イスラム教に限らずですが,宗教は重要な役目を果たすのではと思いました。
ただ,逆に言えば,イスラムが普及した当時の支配者層にとって都合の良いように,上記のような死生観を神様の言葉として作ったのでは?と私みたいな穿った考え方をしてしまう人間は思ってしまうところもあります。
一旦ここまでにします。この死生観の違いが,無宗教である日本人と行動原理が異なる一番の要素だと私は思いました。
私はムスリムになることはないと思います。ただ,死生観以外にも多々興味深いことが書かれています。学ぶべき,実践すべきだなと思うことも多くあります(親孝行しなさい,近親者や困窮の人に与えなさない等)。そこはまた紹介したいと思います。