Innocent_Mechanical Engineer

機械系エンジニアの雑記です

【注意:ネタばれあり】人生に意味なんてないのではないだろうか / 豊穣の海

 久しぶりの投稿です。1ヵ月ぐらいに豊穣の海を読み終わりましたが、書く時間がなかったので、今更書きます。ていうか、色々目標立てたのに、書評以外のことブログに書けていません。

仏教の知識はあった方が良い

 この大作を読み終えて、自己満足に浸っています。ただ、正直に言うと、内容は全部消化しきれていません。一番の要因は、仏教の知識が自分に不足していたからだと考えています。もっと仏教の知識を持っていれば、すんなりと内容が入ってきたかなと思います。たとえば、小乗仏教大乗仏教の違いとか、阿頼耶識についてですね。ただ、それらも上辺だけの意味を知るのではなく、体系的に本質を理解しておく必要があると感じました。もっと勉強して、数年後にまた読みたいと思った本です。

輪廻転生の物語

 消化しきれていないものの、人生の意味、死ぬとはどういことなのか考えさせられました。言うまでもなく、この小説は、輪廻転生の物語です。主人公が二人いると言えて、第一の主人公は輪廻転生していく本人であり、第二の主人公はその第一の主人公を常に傍観している本多という人物です。第3巻までは、第一の主人公は純粋さと何かに対する情熱を持ち合わせています。「恋」に情熱を燃やす少年 松枝清顕、「政治的熱狂」を持つ少年 飯沼勲、「美しい肉体」を持つ同性愛者である少女 ジンジャンとして、それぞれ描かれています。そして、3人とも二十歳で亡くなります。ところが第4巻では、本多がまた同じ生まれ変わりだと思った少年 安永透を養子に迎え入れるのですが、その少年は偽物でした。平凡な人間にも関わらず、自分は特別だと思い込んでいるだけの人間です(20歳でも死なず...)。 

人生の意味とは?

 私は、この小説の最終巻の途中まで、輪廻転生する主人公たちの人生こそが美しくて素晴らしいし、意味があると思っていました。恐らく、私だけでなく、この小説を読めば、多くの人がそう感じるのではないでしょうか。そういう風に描かれているのだと思います。何かに純粋に情熱を燃やすことができれば、早く死のうが関係ない。むしろ、生きるとか死ぬことに執着することがなくなる。一方で、第2の主人公本多は長生きするし、世間一般的な成功は収めますが、輪廻転生する主人公たちに対して常に傍観者であり、最後の方は、変な性癖がばれてしまい、ちょっと可哀想な虚しい老人のように描かれてしまいます。ああやっぱり、死期に関係なく、輪廻転生する主人公たちのような生き方がいいなと思わされます。

 しかしながら、この小説、最期が衝撃的です。本多は、自分の死期が近いことを悟ったときに、松枝清顕が恋をしていた女性 聡子さんに会いに行きます。本多は松枝清顕の思い出話をします。ところが、なんと!聡子は、松枝清顕なんて知らないというのです。何度問いただしても一緒です。本気で知らないようです。正直、意味不明ですし、この大作が夢落ちで終了!?と思いました。でも、ただの夢落ちではなく、これも何か仏教的な概念があるのだと思います。聡子は既に解脱しているとか?ただ、こんなことを聡子に言われたら、松枝清顕の人生は何だったのだろうかと思ってしまいます。あれだけ聡子に執着し、松枝清顕が情熱を捧げた相手が、本人を知らないというのですから。松枝清顕の人生が美しいと感じた要因の一つに、きっと彼の想いは聡子に伝わっているからというのもあります。でも、それは思い違いだったということです。聡子が彼のことを記憶にすらないということであれば、彼の人生に意味なんてなかったという風に思わざるを得ません。どんな生き方をしたって、人生に意味なんてない、思うようにすればいいという風に考えてしまいました。

 三島由紀夫の大作に対して、この程度の感想/解釈しかできなかった私は、考えが足りないのでしょうか、人生経験不足なのでしょうか、きちんと読み込めていないのでしょうか。。。私は基本的に同じ本は2回以上読まないのですが、この本は、もう少し時間がたったら、もう1回読まないといけないと感じました。